古い道標が面白い
山を歩いていると、昔からの路には多くの石柱が見られる。 文字が分からなかったり、文字は分かっても意味が分からなかったりで、なかなか面白いのだ。
11月22日に大岳山に登った時にあった石柱である。 文字は三十二丁と読んでも良さそうだが、その意味が分からない。 「丁」を「町」と考えれば、3.4km余りの距離と云える。 距離とすれば、「ここまで」か「ここから」かが問題で、行く先が見えない以上「ここまで」と考えた方が良い。
ならばどこからの距離か。 それは、白倉辺りからの距離に違いない。 これはやっぱり大嶽神社の参道入口が白倉にあったことを意味する。 全長は教えられていて、もう少し、頑張れと励ますための石柱である。 今も昔も「まだか?」というときの標は心強いものである。 こんな想像も楽しい。
11月17日に今熊山から刈寄山に向かったときの石柱である。 二千四百米はどう見ても、2,400mのことで、途中にあった二千百米の石柱を考えれば、始点からの距離には間違いない。 現代のキロポストと全く同じなのである。 しかも「米」表示ということは明治以降に設置されたものに違いない。
これが今倉神社参拝の距離標だとすると、きっと参道の入口辺りからの距離と考えられ、今の地図からすれば上川町辺りを示す。 そこはきっと昔からの街で、宿や土産物屋が立ち並び、探し物が見つかった頃から栄えていたに違いない。
もう一つ「石倉村」という文字か見える石柱もあった。 しかし、そんな地名は現在の地図にはなく、少し考えて「石倉村」ではなく北側の「戸倉村」ではないかと思い至った。 この石柱がある場所が村の境界線上なのである。 他の文字が読めれば、ちゃんとした情報が得られるのだが、私には難しい。
11月14日の倉掛山の灯籠で、石柱ではないが石造りということで載せる。 舗装された林道で、谷から細い路が上がってきたところに立っている。 路はきっと集落につながっている、いただろうが、灯籠の意味は何か?
神社か寺があるに違いないと思って歩いたが、奥多摩周遊道路から倉掛山の間にはなかった。 あるのは別荘としてのバンガローだけである。 まさか、そのバンガローに行くためだけにあるのだろうか。 それなら、舗装された林道を使えばいいだけなのだ。 いったいどこの灯籠か、何のための灯籠か?
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