天保の多摩川源流

tenkara1nen

2025年02月08日 06:00

 山に行かなくなったので、久しぶりに天保国絵図(甲斐)の多摩川源流を眺めてみた。 色々考えると面白い。

 今回見た地図は、1838年製の山梨県の絵地図である。 山梨県と云っても広いので、今回は渓流釣りと山歩きでお世話になっている多摩川上流(丹波川、小菅川)に絞っている。

 絵図の山梨郡や八代郡には村(集落)が密集するほど多いのに、都留郡は村と村が離れておりスカスカである。 これは、都留郡は急峻な山なので、平地がないということで、住める環境が少ないとハッキリ云える。 甲斐国志でも、厳しい生活だと分かる場所なのであるが、武蔵への路がある重要な場所でもある。 にもかかわらず、村が少ないのだ。 これは記載上の戦略なのか?

 多摩川上流、一之瀬川や柳沢川については、路もなく村もない。 これは郡の線引きの問題で、一之瀬村や高橋村が、多摩川上流ではなく富士川上流に書かれている。 村に書かれている石高も、この二村は金高と読んでしまい、金の村を想像してしまう。 更には、上小田原村の口留番所から先の路が、途中で切れているのは場所を特定させないためなのか? 面白い。

 丹波山村を通る路は奥多摩から丹波大菩薩の南を通り山梨郡に向かう。 丹波山村から瀬戸村に向かう路に小菅村があり、途中井狩を通る。 小菅村の長作は表記さえなく、その先の西原村はどこからの路もない。

 集落は小菅村が四ケ所、丹波山村が二カ所となっており、小菅村の方が大きかったのかもしれない。 もしくは小菅村は丹波山村より、平坦な地が少なく小さかったので、ひとつの集落の口が少なく、集落の数が増えたのだ。

 丹波大菩薩と小菅大菩薩がはっきり描かれているのは嬉しい。 ただ、路は丹波大菩薩に近いところを通っており、小菅村から小菅大菩薩へ向かう路が描かれていないのは残念である。 描く道はどうやって決めたのだろうか。

 武蔵との境には山の名前が多く書かれている。 昔の文字が上手く読めないので、はっきりとは分からないが、御嶽権現山(飛竜山)、うしろ山(丹波天平)、七ツ石峠(山)、みとう嶽(三頭山)などと当てずっぽうで読む。 これもまた楽しい。


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